>maruzさん : この方のブログがその3番目の答えを出している、と個人的に感じました ただし、「〜消失」を読んでいる事が前提です。
 まぁ あくまで 推測の域なので 笑)、思った事に 無理やり筋を通すとこんな感じかなという程度の妄想です 笑)、「〜消失」は残念ながら 未読です


 こちらのブログに移ってから 私が 普段 どんな感じで アニメを楽しんでいるのか 詳しく書いてなかったし
私が アニメを(アニメに限らず 映画・テレビ・ラジオなど)楽しんでいる時 どんなスタンスなのか 紹介しておきます

 まず 基本的に ほとんどの番組で 『 原作は 未読・未プレイ 』です、実は 活字嫌いで 出来たら字は見たくないダメ人間です 笑)
自発的に 原作を先に読む事はほとんど無いですね、逆に アニメを見てよほど興味を持った時には 本が磨り減るくらい読む事はありますが。
なので 必然的に「原作原理主義」にはなりえないタイプです、強いて言えば「初見を楽しみたい」タイプですね
個人的経験上 内容を知っていると 「自分は知っているんだ」という優越感が大きくなりすぎて アニメ上での何か大切な事を見落としてしまう危険性がある
 ほとんどのケースは 原作あっての アニメである事は認識してますが、それを踏まえた上でも 「原作」と「アニメ」は切り離して考えてます
また 自分の感覚と合わないからと言ってその場で突っぱねるのではなくて できる限り 「その作者の意思」を考えるようにもしています
それで どうしても理解できなかったら 視聴切りすることにしますけど・・・
それは 決して 「原作通りじゃないから」と言う理由じゃなくて「それが自分に合わなかった」という理由になります

 上で言った「その作者の意思」とは メディアリテラシーにも 多少関係する事だけど、「原作」を基点として見た場合
   「原作」は「原案」を元に「原作者の意思によって作られたもの」
   「アニメ」は「原作」を元に「アニメ製作スタッフの意思によって作られたもの」
   「ニュース」は「事実」を元に「通信社の意思によって作られたもの」
   「国語のテストで この登場人物が思っていた事を答えよという問題の解」は「原作」を元に「出題者の意思によって作られたもの」
   「パーソナリティやコメンテーターが言う事」は「人生の経験」を元に「パーソナリティやコメンテーターの意思によって作られたもの」
ある表現されたもの それ一つだけ見て 全てを知った気になるのは非常に危険だと思うので、 1つの表現に固執するのはあまり好きではないのです
だから 表現されたものを 常に 斜めから 判断してみる事が大事だと思うし、 この意見は 今の私のこの意見にも 再帰してきます
ただ 上のを見ると分かるように 「原作」は原点であるので 原作者の意思は絶対的なものでなくてはならないという 考えも理解できます
もちろん その考えは 尊重しています

 「涼宮ハルヒ〜」に関しては アニメ1話を見た後に 「〜憂鬱」を読みはじめたけど、途中で 「読まないほうがいいかもしれない」と判断しました
理由としては ネタバレが これ以降の 初見のインパクトを弱めてしまう可能性があるかもと思ったからで
半分とちょい位でやめました、 ちょうどアニメの進行が止まっている「〜憂鬱Ⅲ」ラストの 長門・古泉の告白まで、 ですね
そういう意味で 京都アニメーションが進行を(約1ヶ月)止めてたポイントと 私が読むのを止めたポイントが
一致しているのが なんか 面白かったりする・・・

 で 「その表現されたものの楽しみ方」に話が帰ってくるんだけど
まぁ簡単に言えば「原作を元にして アニメ制作者の解釈で『表現されたもの(アニメ)』を 個人的に解釈してみるのが楽しくて、
その私の解釈が たとえ 原作者 や アニメ制作者と 180度間違っていても それはそれでいいや」
って ラフな感じでやってます、悪く言えば 無責任な感じでやってます って事になります
まぁ 物の本質を 完璧に見抜けるほど 私は頭が良くないので 許してください・・・ 笑)