『 サムデイ イン ザ レイン 』に見る 京都アニメーションの真意について考えてみる・・・
以下全て あくまで 推測なので間違っている可能性 は『大』 です、 意見の一つとして読んでください・・・

 この回には おそらく いろんな意見が飛び交っていると思いますけど、大別すればこんな感じでしょうか
    1.いくら 演出と言っても 手抜き過ぎだよ・・・
    2.ビバチャレンジ!!(放送事故チャレンジしてるかと思った/悪ふざけ最高、など)
    3.表向きな表現以外に 実は 描きたい事がたくさんあったのじゃないか?

 手を抜き過ぎと言う意見に関しては 個人的には 疑問を感じる・・・
山本さん、北之原さんが ただ単に 奇を衒うだけのために 一石二鳥にもなる 手抜きをしたとは 考えにくい
過去の二人の会話とかを聞いたりして思うのは そういうプライドの捨て方をするような人たちじゃないという事だ

 「アグレッシブになんかチャレンジしている」 というのは これは 見ていて 普通にそう感じられるのであって
じゃ 何故 そんなことが必要だったのかと考えると
結果的には 「実は 描きたい事がたくさんあったのじゃないか」という結論にたどり着いてしまう

 作画枚数が減っているのに それがどうして 「たくさん描きたい」に繋がるのかと疑問に思うかもしれないけど
この ブログを立ち上げる前の BBS(CP)でも 言っていた事なんですけど
時系列ちぐはぐ戦法には 「間を わざと省く事によって その間を 詳しく表現することが可能になる」という効果があって
例えば みくる が 普通にコスプレして部室に居れるようになっているとか、野球大会で突然古泉が出てきても普通にSOS団メンバーとして認識できたとか
長門が それが何か説明してなくとも 自分が 「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス」と宣言してたから
野球大会で いきなり バット性能の改竄を行っても なんとなく受け入れる事が出来たのである
つまり 時系列ちぐはぐ戦法には 必ず 話のポイントとなる部分を際立たせるスパイスが 前の話に必ず仕込んである
「じゃ 時系列順に正しく放送しても同じじゃん・・・」と思われるかもしれないけど それでは スパイス効果が薄れてしまう
普通に 文庫本に沿って進んでいると 古泉や長門が持つ能力に対する インパクトが少なくなってしまう
要約すれば 「一つの事を忠実に描けばその一つの事しか表現できないけど 間を省く事によって 視聴者が いろんな事を より面白く含み取る事が出来る」と
いった感じでしょうか、今回の 長門だけの 長回しシーンはその 変化形的なもので その静寂から含みとるべき事があるんじゃなかろうかと 思ってしまうわけです

 そういう視点で 今一度 レビューをしてみる

 アバンでは 明らかに これまでの 雰囲気とは一線をかくした わざとらしすぎるキョンのしゃべり口調で この時点ですでに
「いつものような話とは 違うんだよ」という 宣言がなされているように思える
このタイミングで 見るスタンスをいつもと変えてないと 『期待損』と言う感想に繋がるように思う

 ハルヒが居ない部室、団員はいつものように 手芸・ゲーム・読書 をやっている、外では 体育部の掛け声 や ブラバンが練習している音 が聞こえる
ここで 約40秒の 無言での 長回しが始まる・・・
本来なら もっと早い時点で ハルヒが 「バーン」とドアを開けて入ってくるんだけど 今回は 中々入ってこない
この時点で 完全に「いつもの展開とは違うんだな」と自覚出来ていた人がほとんどでしょう。

 「ハルヒが居ない時の団員たちの静けさ」と「体育部の掛け声 や ブラバンの楽器の音 に なんか漂う哀愁」が オーバーラップして面白い
さらに 個人的には この部分を初見した時 退屈と言うよりも むしろ 何か笑いがこみ上げて来てしまってた
それは 「カードゲームの元ネタがわかった」とか 「長門の本の読み方」とか 「淡々と編み物をするメイドみくる」という 表面上の笑いじゃなくて
いつもの 「バーン」と入ってくる ハルヒが 中々「バーン」と 入ってこないという ギャップなどひっくるめて その部室内 全体の雰囲気が 面白かったからだ
そういう意味では クォータービュー の効果が発揮されてたと思う

 その後の キョンの心の声「でも ちょっと 静か過ぎるか・・・」というのは
無意識のうちに ハルヒを含め 非日常爆弾が炸裂する事が 普通になりすぎて、 実は 逆に 非日常爆弾の刺激を期待してしまっている様に思える

 強引に みくるの服を脱がせている ハルヒのシーンでは
散々 みくるの下着・裸 が 見えそうになっているのを 邪魔をする長門、そして 視聴者をあざ笑うような長門のカメラ目線
表向きではそういう 表現だと思うけど 、でも そこには 意味深なところがある、
長門は 『 蹴りたい背中 』 を 持っている事を 視聴者にアピールしているようにも見えるのではないか?

 そして 長門だけ約2分16秒 + 電車内のキョン約6秒間 + 長門だけ約59秒 のシーン
この 一見 退屈な時間は おそらく 長門が生きている 時間である
演劇部がとなりでわいわい楽しくやっている のに対して 長門は一人で寂しく本を読んでいる
でも 一瞬 キョンが気になって キョンの事を 覗いてしまう、「まだ 電車か・・・」と 続けて 本を読むのを再開
その後 その長回しシーンの最後に 長門は窓の外をみつめているのが分かる
雨が降り出したのに気付いたのか? いや キョンが友達と話している時はまだ降ってなくて その後に降り出したのだ

 ここで 少し 大胆な仮説を立ててみる 笑)、 題して・・・『 雨を降らしたのは ハルヒじゃなくて 長門じゃないのか? 』
もしも ハルヒキョンとの相合傘をする事を 最初から願っていたのなら ハルヒは自分の傘を用意してたはずである
ということは 『 雨が降る事に関しては ハルヒは ノータッチだったと 』
黒板の上に掛けてある 太陽のモチーフが アップに写されるけど、それが何を意味するのか・・・
  一回目は キョンハルヒに関する事を思う 前に写される
  二回目は みくるが キョンに マフラーを巻く 前に写される
みくるのシーンにしても ハルヒの嫉妬の方を メインに考えたら 太陽のモチーフ は ハルヒの事を指しているように解釈が出来る、が
みくるのマフラー巻きを メインに考えたらどうなるか・・・
孤島症候群 で 部屋に閉じこもっていた時 キョンの発言に対してのみ 長門のあの表情を入れていた意味を考えると 長門キョンの事を意識している
太陽のモチーフが キョンを意識している人物を象徴するものだとすると 長門は 仲間はずれになっている、これは何故かと言うと
長門キョンと一緒に居れない事に 多少の イラダチ を感じているんじゃないのか?
それが あの 『 蹴りたい背中 』に繋がっているんじゃないか?
だから キョンが学校までの坂を 上りはじめるのを見計らって 雨を降らせたのではないか?
だとするとキョンの「天気予報じゃ 降水確率10%って言ってやがったのに」と言うセリフも 生きてくるんじゃないか?
しかも 雨に濡れていたら そのまま ストーブに当たるだろうと言う計算も あったのかもしれない

 キョンが帰ってきた時の 鶴屋さんの 洞察は「ハルヒの企みを見抜いて あえて ハルヒ達の事を言わなかった」と思うんだけど
長門キョンハルヒたちの事を言わなかったのは、「キョンに部室に留まってほしい」と言う気持ちの表れじゃないのか?
どこに居るか分からないのに わざわざ探しに行くことも無いだろうし
結果として ちょっとの間でも キョンと 二人っきりの時間が出来た、その満足感が 長門がカーディガンをかけていった理由じゃないか

 表向きには 「SOS団の非日常的な事が起こってない時の風景」と「ハルヒキョン の ハッピーエンド」を演出していて
実は その裏に 長門のストーリーも含めてあったのではないか、 もし そうだったら 面白いかもしれない・・・ 笑)